最近思うことのお話です。
この数ヶ月は、ほぼお家で息子と過ごし、毎日の成長にニヤニヤしたり、大量のうんちにあたふたしたり、笑顔を写真におさめようと、ひたすらジャンポケ斉藤さんの「はぁーい」を連呼してみたり、一日があっとゆーまであった。
そんな日常を過ごしながら現れたのは、とにかく大人と喋りたい願望である。
今までそんなことは、思ったことがない。
逆を言うと、大人と喋るということ自体が、当たり前の日常で、なんならそれがわたしのお仕事でもあった。
だから、そんな願望が自分の中にあるのかという驚きで、たまに友人が遊びにきてくれたりすると、ほぼノンストップでしゃべるという現象。聞く力はどこへやら。。。
人によって、その時の状況によって、時代によって、国によって、「当たり前」は当たり前じゃなくなる。
一人でいるのが平気という当たり前
海外ロケに行くという当たり前
平和という当たり前
自分の環境の変化やウクライナのニュースによって、「当たり前」ってなんだろな?なんだろな?なんだろな?と悶々とすることもあるが、とにかく自分の「当たり前」を人に押しつけるのはやめようと思うのである。