この前ふと思った。
とある友達が
「今のこのお腹の贅肉がいやだから
そんな身体がゆるせないから、筋トレをする」
よく耳にする言葉だが、なんだか違和感というか悲しい気持ちになってしまった。
もし、これが
「いつか引き締まったお腹になるために
そんな自分になりたいから筋トレをする」
だったら、感じ方は違ったのかなぁ。
結果、筋トレし、引き締まった体型になったら、同じじゃないかとも思うのだけれども、このなんとも言えない違和感は消えない。
悲しいかな、やはり人間はプラスのご褒美より、マイナスの罰の方が原動力としてのエネルギーが高いのか。
自分自身、仕事でよくあるシチュエーションで、
このゲームに勝ったら高級旅館
よりも
このゲームに負けたらバンジージャンプ
の方が、そのゲームに対する頑張り度は高い。
少し極端な例ではあるが、日々の生活でも
「部屋が散らからないように掃除する」
「人に悪く思われないように愛想良くしよう」
など、マイナスを避けるべく行動していることが多々ある。
けれどちょっとずつでも
「部屋が綺麗だと気持ちがいいから、掃除する」
「人と気持ちよくコミ二ケーションをとるために笑顔でいよう」
と同じ行動でも、言葉を変換してみると、もしかしたら、なにか変化があるのかも知れない。
きっと訓練に近いような気もする。
ただ、どんなに訓練しようとも、バンジーだけはプラスのエネルギーで飛べる日がくるとは思えないのだが。。。