この夏、久しぶりに地元に帰った。
ただ、お仕事だったので日帰りで、家族とではなくはわたし一人だけである。
「米子がいな祭」という鳥取西部では最大級の夏祭りで、わたしも学生時代に何度か行った思い出の祭り。
しかも、鳥取の中でも田舎に住むわたしにとっては、「米子がいな祭」は大都会の祭りで、こんなに米子に人がいたんだと感じるほど、市民が集まるイベント。
そんなお祭りにタレントとして参加するなんて、なんだが感慨深いものがあった。
劇的な熱さの中、無事にわたしの出番は終わり、今回の帰省でお祭りとおんなじくらい大切な目的、4年ぶりに会うおばあちゃんである。
コロナ渦でなかなか帰省できなかったことに加え、その間に足を悪くしてしまい、入院したおばあちゃん。
こういうご時世なので、しばらくは面会も厳しく、最近ようやくお見舞いができるようになった。
わたしは、小さい頃からおばあちゃんっ子で、おばあちゃんのご飯も大好きで、寝室も一緒。
上京してからも、見ず知らずのおばあちゃんが、杖をついて横断歩道を渡る姿を見るたびに、胸がぎゅっとなり、泣きそうだった。
うちのおばあちゃんは、the 働きもので、おじいちゃんと一緒に米や野菜を作る農家さん。
昔はよく、作った春菊などを市場に売りに行くのに、ついて行ったりしていた。
毎日土に触り、鍬を使っていたおばあちゃんの手は本当に分厚く、握手すると骨が折れるんじゃないかというほど強かった。
だから、大人になり帰省して、また東京に戻るときは、毎回最後におばあちゃんと握手をする。
そのたびに、まだまだ力強い握手だと安心するのだ。
今回4年ぶりの再会で、認知症もはじまっているおばあちゃん。
まず覚えているかどうかが第一関門だ。
病室に入り、
「おばあちゃん、久しぶり」
と声をかけると
「あんだーー、絢子かや」
ちゃんと覚えている。
足腰は弱っているが、しっかり自分で起き上がり、会話もできる。
20年前に亡くなったおじいちゃんの話をすると
「本当かや!!!」
と新鮮に驚いてくれる。
いいんだよ、悲しいことやしんどかったことは、上手に忘れれば良いと思う。
そんな風に喋っていると、面会の終わり時間が近づいてきた。
わたしはずっと、今回おばあちゃんと握手するのが怖かった。
さすがに80も後半。
病気もしている。
以前のような力強さはないだろう。
それを感じるのが怖かった。
けれどもう帰る時間。
「おばあちゃん、またね、また来るけん、元気でおーだよ」
手を出した。
ぎゅっ
その握手は、ビビるくらい強かった。
むしろ、わたしより握力がある気がする。
というか、痛いくらいだ
大丈夫だ。
おばあちゃんは、まだまだ元気で長生きする。