この前、10年ぶりにパプアニューギニアにロケに行ってきた。
10年ぶりではあるが、気がつきゃ4回目のパプア。
人生で4回もパプアに行くことなんて、なかなかないだろう。
それだけ、ある意味、面白いものの宝庫なのだ。
多民族国家で、本当に多種多様な民族の方々が暮らされている。
見た目も派手な装飾品やお化粧だったり、中にはスケルトンマンといった骸骨のような見た目の民族や、マッドマンといった泥で作ったお面の民族。
昨今よく言われるダイバーシティという概念が、何百年も前からあるように思える。
そんなおそらくは、何百という数の民族の方々が、一同に集まるお祭りを今回はリポートしてきた。
その名も「ゴロカショー」。
9月16日の独立記念日に、パプア中からゴロカという街に大集結するのだ。
遠いところだと、20時間くらいかけて来る方々もいるらしい。
もともとは、民族同士の争いが絶えず、平和的に解決するためにみんなで祈り、踊るというのがゴロカショーの起源といわれている。
それが今はお祭りのような形になり、我々のような異国の人間も見ることができるようになった。
会場に到着すると、もうとんでもない熱気に包まれていた。
大きなグラウンドに何万という方が集まり、それぞれの民族の方が、それぞれの衣装を身に纏い、それぞれの踊りを踊る。
神様も民族ごとに異なり、森の木の精霊だったり、今は存在しない動物の精霊、なかには性行為そのものが信仰であったり、本当に自分のなかの固定概念が吹っ飛ぶような景色であった。
また、これだけさまざまな民族が一つの場所に集まっているが、ちょっとしたいざこざのようなものを一切見なかった。
それはそもそもがみんなで平和を祈り、踊ろうということなので、まあそうか、となった。
と同時に、これだけの人たちが遠いところから集まって来たのだから、わたしの感覚では、この場で民族の方同士が交流したり、コミュニケーションをとったり、仲良くなったりするのかなと思っていた。
しかし、実際にはそういった場面をわたしはみてない。
みんな各々で、祈り、踊っていた。
その光景が、なんだかわたしには、とてもしっくりきたのだ。
争いもしないけど、仲良くもしない。
その姿が、とても凜として見えたし、こころの底から「これでいいじゃないか」と思えた。
今、毎日、世界で起こっている悲しすぎるニュースを目にする。
その人その人に信じるものがあり、それが違うというだけで争いごとになる。
なぜ、各々ではいけないのか。
ゴロカショーでそう言われているような気がした。
4回目ではあるが、まだまだ発見の多いパプアニューギニアの旅でした。