普段はエッセイを読むことが多いのだが、久々に小説を読んだ。
松永K三蔵さんの「バリ山行」
山岳小説というジャンルなのであろうか。
とあるリフォーム会社に勤める、人付き合いが苦手な主人公が、同僚に六甲山登山に誘われる。
だんだんと登山の魅力にはまり、会社でも登山部が作られる。
そこに、ベテラン社員の妻鹿さんも参加するのだが、妻鹿さんは毎週末六甲山で、通常の登山道ではないバリエーションルート、通称バリと言われる登山スタイルで登っている。
そのスタイルを知った主人公は、妻鹿さんと一緒にバリ山行に行くのだが・・・
主人公は、会社の問題や家庭の問題、日々さまざまな不安の中で生活している。
それは、種類は違えどとても共感のできるもので、きっとそういった漠然としたものから気持ちを切り替えたり、日々を楽しむために、多くの人は山に行ったり、自然と戯れるのではないかと思っていた。
しかし、この本の中で妻鹿さんと出会い、妻鹿さんが本物の怖さというものを教えてくれた。
普段感じている不安や恐怖は、自分が作り出しているものであって、不安ではなく不安感。
“感”なのだと。
けれど、山で感じる恐怖は本物なのだと。
その実体と組み合うしかないのだと。
わたしには、この言葉が突き刺さった。
すごく共感もできた。
最近、妻鹿さんの言う本物の怖さを、感じていないのかもしれない。
それはそれでいいことなのに、その分自分で作る偽物の怖さに、勝手に怯えていただけなのかもしれない。
よく言う、圧倒的な自然を前にすると、自分の悩みなんてちっぽっけだったという言葉。
それを、妻鹿さんが別の言葉で教えてくれたような気がした。
だから、実際にやるしかない。
また不安感に襲われたときには、妻鹿さんに会いにこの本を開こうと思う。