この間、ラジオを聞いていたら、とあるパーソナリティの方が、自分は耳障りの良いことを言ってくる人を信用しない。
その代わり、歯を食いしばるような努力をして結果を出した人の、耳が痛くなる厳しい言葉を信じたいと。
今の自分に、すごく響いた。
どうしても、褒めて欲しくて耳障りの良い、優しい言葉を求めてしまうけど、結果その人は、おそらくそこまでの責任感を持って、その言葉を発していない。
そんなことは分かっているのに、甘えてしまっている自分がいる。
今の時代、なかなかみんな、悪者になりたくなくて、耳が痛いことは言ってくれないし、自分も、思っていても、結果耳障りの良い言葉に変換して伝えている気がする。
だからこそ、本やラジオなどで、耳が痛いことに触れると、心が動く気がする。
そんなことを最近、思ってます。