先日、お仕事で地方に行く機会があった。
新幹線移動だったのだが、ありがたいことに、グリーン車での移動。
席に着くと、通路を挟んで隣に、おそらく親子であろう、70代くらいのお母さん、40~50代くらいの息子さんが乗ってこられた。
すると、そのお母さんは、「まあなんてありがたいこと」と、席を取ってくれたであろう息子さんに、感謝を伝えた。
その後も、何度も
「ありがたいね、こんな立派なシート」
席を倒すときも
「ありがたいね」
息子さんが買った駅弁を食べるときも
「こんな豪勢なもん、ありがたいね」
とその都度その都度、感謝をしていた。
心の底から発せられた「ありがたい」という言葉は、隣にいるわたしにも伝わってきて、なんだか聞いてるだけで、その2時間の旅が素敵な空間に彩られた。
と同時に、果たしてわたしは、ちゃんとこのシートに感謝しているのか。
冒頭に書いた「ありがたいことに」という言葉が、すごくすかすかなものに感じられた。
最近息子が、何かまずいことをしたときに、すぐに「ごめんなさい」と言う。
それは、わたしに怒られないための、彼なりの処世術のようなものだが、あまりの早さと、ほぼ気持ちが入ってないごめんなさいに、苦笑いをするしかなかった。
たぶん冒頭の「ありがたいことに」のように、きっとわたしも軽い気持ちで、息子の前で言葉を発しているのだなと反省した。
あの新幹線でのお母さんのように、本物のありがたいをどれだけ言えるかで、人生の豊かさって感じられるのだろうな。