修正力

最近、この時代に必要なものって、「修正力」なんじゃないかなって思う。 
 
辞書で調べると、修正とは 
「不十分な点や不適当な点を改め直す」
と出てくる。
おこがましいが、 わたしが思う修正力とは 
「やっちまったことや起こってしまったこと、失敗や間違いを受け入れ、なかったことにせず、どうにかこうにか、その経験を踏まえ前に進む力」 
と勝手に解釈している。 
 
例えば、わたしの中では「お」を書こうとして「あ」を書いてしまった時。 
修正テープで消したり、紙ごと替えて一から書き直すのも丁寧で誠実だと思うが、 
どうにか書いてしまった「あ」を残しつつ「お」にもっていく
というのも一つの手で、修正力なんじゃないかなと思う。 
 
「面倒くさいだけだろっ」 
と自分自身に突っ込みは入れつつ、やはり一度始まってしまった人生、修正テープはきかないし、タイムスリップするわけにもいかない。 
起こったことは受け入れるしかないのだ。 
 
この受け入れるということが、どんだけ大事かを肌で感じたことがあった。 
 
番組のロケで、高さ100メートルの場所で綱渡りをする「ハイライン」にチャレンジをした時のこと。 
 
一歩進むたびにとんでもなく足元が揺れる。 
その揺れを感じ、揺れを止めようとする自分。
すると、止めようとすればするほど揺れが大きくなり、最終的に落下するのだ。 
その時、先生に言われたのが、 
「揺れてしまったことを受け入れ、その揺れに身体を委ねなさい」 
 
最初はそんなことをしたらもっと揺れ、どっちみち落ちてしまうと思ったが、これが言われた通りにやってみると不思議で、もちろん揺れはするが、だんだんとその揺れと身体が一体化して、気がつきゃ揺れも収まっているのだ。 
 
もちろん先生は「ハイライン」のアドバイスとして言ってくださったが、わたしのなかでは人生の教訓となったのだ。 

「無理くり流れに逆らわないように、上手く軌道修正しながら進む」 
 
これは全てに通じると、「ハイライン」を通して悟った気になっている。 
 
よく耳にする
「訂正してお詫び申し上げます」 
訂正という言葉も修正に似てはいるが、わたしの中では「叱る」と「怒る」くらい違う気がしている。 
誰かが間違いを起こしてしまった時、
「修正して次に活かします」 
と言ってしまえるような世界って、素敵だなって思う。 
 
コロナによって過酷な海外ロケや「ハイライン」をせずとも、予測不可能な毎日をおくる今。
自分の予測に固執せず、起こったことを受け入れ、最適解を考える。 
 
そのためには修正力を身につけて、飄々と生きたいものだ。

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